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【期間限定連載コラム】駄チワワのキグルミから観た風景 第1回

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どうやって決まる?世界コスプレサミット日本代表.1

 いきなりですが、コラム書かせて頂く事になりました!
 2008年から毎年夏は名古屋へ遠征し、2012年から代表選考会(国内予選)に出場して見続けている立場から、色々と世界コスプレサミットの一部分を書いていきたいと思います。もちろん公式の見解とは一切関係ありません。
 第一回は、コスサミの「日本代表」ってどんな風に決まってるの?というお話の、前編。


 ハッキリ言えば、日本人の大半どころか、コスプレイヤーの大半にとっても、コスプレサミットの日本代表枠が誰になろうと、どうでもいいじゃないですか?
 「あれって予選あったんですか?」「タレント雇って演じさせてると思ってました」…そんな風に言われた事もあります。チッ。
 まァホラ、実際の参加者にとって世界コスプレサミットのイメージって、パレードがあったり、外国人のコスプレイヤーが見られたりの、街全体を使ったフリーダムでカオスなお祭りイメージであって、チャンピオンシップ(=世界一決定戦)なんて、その中の一プログラムでしか無いでしょう?けれども。

 大前提として、「世界コスプレサミット事務局(テレビ愛知→(株)WCS)の主目的は、あくまで世界各国代表チームを名古屋へ招いて行う8月のチャンピオンシップや関連イベントや国内外からの観光振興であって、足元の日本代表を選ぶ過程に関しては歴代ずっと丸投げと軽視の状態が続いていたので、形式や規模が一定せず、グダグダでに行われてしまいがちな悪癖があり、それは10年経ってもあんまり是正されていない」って事実があります。

× × × × × × × × 

 2003年、最初の世界コスプレサミットは3ヵ国参加。
 主催はPCショップのグッドウィルとテレビ愛知。各国からゲストとして招いた“美少女コスプレイヤー”の皆さんが日本観光したりする、ほぼ純粋なTV番組でした。
 一応ホスト役の様な感じで日本人レイヤーもいたのですが、代表としては公式記録にはなっていません。

 2004年、テレビ愛知すぐ近くの大須商店街夏祭りとコラボし、4カ国のゲストレイヤー8名+地元レイヤー100人参加のパレードを開催した事で、一気に認知度が上がります。
 まだ純粋な「サミット」形式で、テレビ愛知スタジオでの交流会があり、日本国内からの希望者は参加できたので、特定の日本代表は設定されていませんでした。
 この年からの大須コスプレパレードはチャンピオンシップ同様にコスサミ名物となり、10年後には1000人を超す夏の風物詩としてすっかり定着しています。
 実は名古屋市は様々な経緯から同人誌やコスプレのイベントは会場が借り難い時期があり、オープンなコスプレイベントが存在しなかったのですが、テレビ愛知はそんな事情は知りませんし、マスコミの力は大きいのです。
 この、「コスプレ業界の人達じゃないから常識が通じない」は良くも悪くも、コスサミの名物であります。そんな人達じゃなかったら、各国のコスプレ代表集めて強引に「世界一」決めたりしないよ!
 日本人にとってはあくまで“名古屋の奇祭”である世界コスプレサミットですが、後に数年がかりで海外からは世界的なコスプレの祭典として認識されていきます。

 2005年、最初のターニングポイント!
 愛知万博に便乗もといコラボして、万博内のEXPOドーム内にて「世界コスプレチャンピオンシップ」を開催し、衣装+1分間のアピールタイム審査により優秀なチームを表彰。これがヒットした事により以降、国別対抗戦の色合いを強めていきます。同時に省庁や自治体などが後援や協力を重ね、次第に行政絡みの巨大イベントへ成長していきます。
 この05年から、当時7ヵ国の代表チームはそれぞれの国内予選により公募形式となりました。しかし主催国の日本には東日本/中部/西日本/WEB予選の4枠代表があり、さらに個人/団体の枠があったため、この年だけで合計8チームもの日本代表がいたのでした。
 まだコスサミが海のものとも山のものとも認識されてなかった時期でしたから、最大規模であった東京ドームシティコスプレフェスタ予選ですら応募者が少なく、当日受付OKというアバウトさでした。
 ちなみにアメリカ代表だと3枠ありましたが、大人の事情で決定済の米代表1チームを差し替えさせたりしたため、以後2年間アメリカがボイコット…というか提携団体を変更しなくてはいけなくなりました。

 2006年、外務省と国交省が後援につき、チャンピオンシップはおなじみのオアシス21特設ステージに移り、この時期に任に就いていた麻生太郎外務大臣による「文化外交」演説の内容が、当時の公式サイトに入っていました。
 個人部門が無くなり、二人一組3分間のパフォーマンス対決になります。動きを求めるのは非常にTV的な発想でしたが、美人コンテストにならないコスプレコンテストの形を目指して行ったのだろうと思います。
 日本代表枠は東京/名古屋/WEBの3組ありました。参加は全9ヵ国に。

 2007年、TV愛知は巨大化するコスサミの業務に対応すべく、部署横断組織として社内に「世界コスプレサミット事務局」を立ち上げます。既に参加12ヵ国に昇り、一番組や文化祭ノリの範疇では収まらなくなっていたのでした。
 日本代表枠は東京/大阪/名古屋の3組。

 2008年、経産省が後援につきます。
 参加13ヵ国への増加と引き換えに、日本代表枠は東京/大阪の2組に減りましたが、大阪代表になったチームは既にインディーズV系ユニットとして活動しており、後にして思えばこれ以降、事務所や劇団に所属して活動するレイヤーが出場増加する一因となります。

 そしてこの年に発生した権利的なトラブルから、翌年以降、TV放送されるチャンピオンシップや日本代表選考会への集英社作品での出場が禁止されます。パレードや他の関連イベントでは影響ありませんでしたが。
 しかしこのルール改訂は当時の公式ブログに英語のみアナウンスされ、日本語では「作品によっては出場できない」というような曖昧な表現をしてしまいました。禁止を明確にせず、集英社作品で応募して来たら選考から外すというパターンでしたので、やはり国内予選は軽視されていたのだろうと思います。

× × × × × × × × 

 2009年、次のターニングポイント!
 前年秋からのリーマンショック不況が愛知県=トヨタ王国を直撃し、スポンサーからの広告費で成り立っている全国の地方ローカル局と同様に厳しい状況に立たされます。
 参加15ヵ国に増大したこの年からコスサミは「実行委員会」形式となり、テレビ愛知内のコスサミ事務局以外にも、行政や協賛企業から、外部の人間が多く関わっていきます…

 さて、ここまで世界コスプレサミット事務局の根本的な問題である「TV局主催なので運営側が誰もコスプレの事が分からない」状況をどうにかしようとし(てしまっ)たのか、ここで、日本国内予選を管轄する初代“日本オーガナイザー”として入閣したのが…以後キーパーソンとなる、ジャッキー道齋氏でした。
(専門誌コスモードのスーパーバイザーとか米国SNSのコスプレドットコム副社長とか東京ゲームショウコスプレ推進チームとか、肩書きの非常に多い人物でありますが、めんどいので“黒幕”“仕掛け人”とか表現しちゃいます)

 そして2009-11年までの3年間、コスサミは国内予選を大幅に縮小します。
 国内の地方予選会を廃し、一次予選をWEB投票とし、8月のチャンピオンシップの当日or前日に、サンシャイン栄の小さなスタジオで少数のみ集めて実際の選考会を行う形式に。今までアバウトだったルールが整備されていき、毎年2~4組いた日本代表枠も他の国と同様、1組のみとなります。
 この為、チャンピオンシップ前に行われる関連イベント(外務省表敬訪問やパレードなど)には日本代表が「未定」のまま行われてしまっていました。

 そして見えない部分では…もっと大きな改変が行われました。
 道齋氏の「海外のコスプレにある“動”的な面白さを日本に持ち込む」路線により、コスプレサミットの日本代表チームを決める戦いは、コスチュームの出来よりも、(さらに)パフォーマンス重視による審査へとシフトしていったのです。同時に予選での点数や順位は非公開に。
 つまり予選会のクローズド化とパフォーマンス重視路線。
 日本のコスプレイベントは長らく動的なパフォーマンスが禁止だったので、“静”的な写真表現やネタ性は高いものの、本格的なパフォーマンスに力を入れていたチームは…つまり道齋氏の路線に沿えたチームは、限られます。
 
 …客観的な印象ですが、数週間に渡る練習や造型をがんばった後、一次のWEB予選を抜けた少数のチームだけが、観客の殆ど居ない撮影禁止の小さなスタジオで、衣装よりもパフォーマンス重視の審査で優劣を決められ、1位以外は順位も得点も公表なしで、記憶にも記録にも残されず。
 そして日本代表に選ばれたチームだけがその後に「コスプレ日本一」を名乗って各所で芸能活動を行っていく姿は…最早お祭りでもコスプレコンテストでもなく、芸能オーディションの様子でした。
 それは選ばれた本人達の問題ではありませんし、運営側にお金の無い時期でしたから、そこを可能な規模で仕切った道齋氏の存在を否定してる訳でも無いです。実際、この人の時代に、国内予選はともかくコスプレサミットの本選(チャンピオンシップや関連イベント)はさらにショウアップ=ショウビジネス化し、協賛企業を集め、巨大化していったのも事実で。

 なお道齋氏の語録ですが「俺のルール」みたいな言葉もポイント。
 ルール上のグレーゾーンも独断でOKを出してしまうので、事態が進みやすい反面、結局、氏に近しいチームとそれ以外での温度差が広がってしまい、不満鬱積や出来レース疑惑が無駄に年々高まってしまったんじゃないかと思いますが。
(この疑惑を払拭しようという問題意識もあまり無かった)
 最も分かり易い例では、まだゲーム系禁止だった筈の2009年の日本代表チームは「戦国BASARA」でした。…そりゃおかしいって言われるでしょう。
(でも身内化に関しては、テメエだって同じ様なモンだろ!と言われたら、そうです。認めるしかないので、ご批判は甘んじて受けます)

 コスプレイヤーを選ぶのか?
 パフォーマーを選んでるのか?
 ってゆーか、いつどこでどうやって選んでるのか?
 前日までは居なかった「日本代表」がなぜチャンピオンシップに登場するのか?

 外から見たら、この時期、日本代表選考会はおかしな状況が続いていました。
 選ばれた人達のせいではありませんし、その状況が不可抗力だったとしても。

 その2、2012年へ続く…。

【関連リンク】
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世界コスプレサミットとは Wikipedia / ニコニコ大百科

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COMMENT

老婆心で一応突っ込みますが

>まだゲーム系禁止だった筈の2009年の日本代表チームは「戦国BASARA」でした。

戦国BASARAは、2009年4月にアニメ化されてます。また2006年にはコミカライズもあり、ルール上は問題がありませんでした。問題になったのは2008年に準優勝した中国チームの方だった筈。ゲーム版権絵をそのままパネルにしていたので。楽曲もゲームミュージックだったような気がします。

| 偽ロボライダー | 2014/06/16 11:50 | URL |















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